新西国霊場刈田三十三札所 気軽ににお参りできる

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◆なぜ?刈田に三十三札所があるのか

白石市にある延命寺の先の住職運猷は、かねがね「刈田地区」に西国霊場三十三札所をお移しいたしたいと願っておりました。昭和9年は弘法大師御入定1,100年の御遠忌にあたり檀家25名を同年4月11日白石を出発、最初に伊勢神宮、次に高野山、順次西国霊場三十三札所、金刀比羅宮、出雲大社、最後に信州善光寺を参拝し三週間の長旅を終えて5月2日に無事帰郷しました。西国霊場の三十三札所の御砂を拝受して、刈田地区に聖地三十三ヶ所を選定し御砂を安置し奉りました。   当時は観光バスや飛行機もなく、宅配で荷物も送れない大変な旅だったと予想されます。

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◆第一番 瀧の観音堂◆
伊達政宗の乳母、片倉小十郎の異父姉である「喜多」がこの観音堂の裏に庵室を結び晩年を過ごした。72歳で没す。

◆第二番 傑山寺◆
初代片倉小十郎景綱の墓がある。墓標としての杉(樹齢約400年)や、歴代奥方の墓石が並ぶ

◆第三番 當信寺◆
山門は白石城東口門で、三間一戸、二階建て瓦葺きを移築したものである。真田幸村の遺児「阿梅・大八」の墓がある。本尊仏は黒本尊とも呼ばれ、片倉備中守重長が大阪出陣の際、家中の遊佐勘四郎が天王寺より持参したと伝う

◆第四番 森合観音堂◆
鉢盛山のふもと杉林の中の長い石段の奥にある。本尊の十一面観世音は百済より献じられ源氏代々の守り本尊であったが八幡太義家が兜の中に頂いて国土泰平を祈願して安置したという。

◆第五番 威徳寺◆

本尊大日如来は、正徳五年(1715)10月21日開眼の銘あり。大般若十六善神、、涅槃図あり。不澄ヶ池あり。山影も映さぬ程で年中澄むことがない池のため、里人は不澄ヶ池あるいは無影池と呼んだという。

◆第六番 大平毘沙門堂◆

山火事の災害を受け当地に遷座したという。昭和57年で遷座300年となる。木仏立像三尺、作者不詳。本尊御開帳は寅年の初寅の日に限られる。堂の背後、嘉右衛門山の神山にある、逆さケヤキは八幡太郎義家が往来の途中にさした杖が、逆さに活着して成長したという。根周り8m。白石市内随一の巨木である。

◆第七番 大義寺◆
大義寺はもと、天台宗海出山頼義寺と称し、源頼義の開基した寺で、後に源義経奥州下向の際に持仏の聖観世音を安置し山号も「義経山頼義寺」と改称。さらに聖観世音の大慈大悲の請願から「慈雲山大義寺」と称した。寺のすぐ前の御所館は頼義公の陣屋後だったと云われる。

◆第八番 宝蔵寺◆
越河平の里のほぼ中央にあり、越河屋敷と斎川の境まで見通せる小高い山の上に建立されている。       裏山山頂に虚空蔵堂があり回りには庚申塔五十余を数える。他には天満神宮のお堂あり。

◆第九番 定光寺◆
達磨大師(呉陵画),涅槃像(三泉画)、千手観世音像あり。境内に延命地蔵あり。(享保八年1723年の銘あり)         越河宿は、仙台藩最南端の宿場として栄えた。

◆第十番 観福寺◆
本尊の大聖不動明王は、弘法大師御真筆という。境内には観音堂があり聖観音を祀る。寺の裏の丘陵には県指定史跡鷹ノ巣古墳群がある。最大のものは瓶ケ盛古墳で二段築成全長56mの前方後円墳である。また、200m西方に慶長以来の手漉き紙技法を伝える遠藤家があった